シリーズ・私の子供の頃

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年末年始の思い出 けんもつ順子

わたしは、静岡県沼津市で生まれて育ちました。祖母と母は雑貨屋を営み、社交家の祖父は市議会議員をして、真面目な父は、電電公社(今はNTTと言いいますが)に務めていました。父は8人兄弟の長男でしたので、暮れには叔父叔母が家族を連れてくるのでとても賑やかでした。私は子供が好きだったので、小さいいとこたちが来るのをいつも楽しみにしていました。 […]

2018/01/07|Categories: シリーズ・私の子供の頃|

「私の子供の頃」  ― 昭和一桁の思い出― 土屋和子

この間 友人から「ひまわり会も昭和一桁の人が少なくなったね」と言われた。 私の子供の頃の思い出は 国民服やもんぺ姿の人が行き来し「欲しがりません、勝つまでは」の張り紙が町中に貼られていた風景が目に浮かぶ。世の中が全て灰色で夜は真っ暗、炸裂する高射砲弾の光や焼夷弾の燃え上がる炎さえも綺麗だなと感じた。 […]

2017/04/21|Categories: シリーズ・私の子供の頃|

シリーズ 私の子供の頃 No.4

「懐かしい遠い昔のこと(上)」 ドンゴン巳器乃 私は東京市麹町区三年町に大東亜戦争(第二次世界大戦)が始まった年の三月に生まれ、その後静岡県の磐田村に疎開しました。父は自営業の印刷の会社を辞め(紙が配給制になり、営業困難になったため)、戦争は次第に激しくなり、 […]

2016/01/17|Categories: シリーズ・私の子供の頃|

シリーズ私の子供の頃 No.3
「都会になる前」   

角の八百屋さんの道端にくたびれた野菜の切れ端と一緒に死んだネズミが居た。小学校に行く途中だった。通りには都電が走っていて、友達がぶつかって怪我をしたりした。東京オリンピックの頃だったかと思う、都電が消え、いつの間にかバスになった。 […]

2015/10/19|Categories: シリーズ・私の子供の頃|

シリーズ私の子供の頃  
No.2「疎開時懐旧」

夕飯の支度をしながら、キッチンの窓から茜色に染まった空に目をやる時、よく思い出すのは子供の頃、特に昭和19年から27年にかけて疎開していた福井県は若狭の片田舎で過ごした8年間の遊びの数々である。昭和15年生まれの私は、5歳から13歳までそこにいたことになる。子供時代で最も毎日が楽しくてしかたがない年齢だった。 […]

2015/08/02|Categories: シリーズ・私の子供の頃|

シリーズ「私の子供の頃」
No. 1「戦後っ子」

里山を背に、目の前には遠浅の穏やかな湾の広がる湘南で育った団塊最後の世代を自称する私の、昭和の古き良き時代、、、子供の頃の思い出話です。ここ1、2年次々と退職を迎え始めた幼友達たちのはげ頭、いえいえ失礼、寂しくなってきた頭部と太鼓腹が突如として脳裏に浮かんできました!? […]

2015/04/17|Categories: シリーズ・私の子供の頃|