2019年も過ぎようとしている。 今年の後半で強い印象を受けたのが、11月中旬から始まったトランプ大統領弾劾の公聴会である。 毎日報道される証人尋問を、私も興味深く視聴した。 その政治的意義はさておき、私の注意を引いたのが、2人の証人が移民である背景をアメリカへの忠誠と結びつけていたことであった。
まず、陸軍将校アレクサンダー・ヴィンドマンは、3才で旧ソ連から移民しニューヨークで育った。父親は幾つかの仕事をしながら夜学に通い英語を習った。子供達には常にアメリカ人になるように強調していた。 息子の証言を心配する父に対し、アレクサンダーは、「お父さん、大丈夫だよ。 この国は自由の国だから」と答えた。 そして国家安全保障会議顧問フィオナ・ヒル。 英国北東部の貧しい炭鉱地帯で育った。 炭鉱が次々と閉鎖される時代、フィオナも若い時から働き地元の学校で学んだ。 後にオックスフォード大学でインタビューを受けたが、労働者階級特有のなまりのため笑われた。 スコットランドの大学を卒業し、ハーバード大学で歴史学博士号を取得。 ロシア情報の専門家として歴代3人の大統領に仕えた。 ヴィンドマンと同様、アメリカが与えた自由を、フィオナも「英国では考えられなかった」と告白している。
ヨーロッパ系移民であるふたりがアメリカン・ドリームを手放しに肯定するのを、複雑な思いで聴いたのは私だけではないだろう。 戦前の日本人移民が差別と苦闘しながらも、カリフォルニアの大地に根を張り共同体を築いて行った歴史はよく知られている。 最近私は、春海真理子さんから借りた「サリナスの土」という短編小説を読んだ。 そこには、1900年前後から1930年代にかけて、市民権取得資格剥奪、土地所有禁止、異人種間結婚禁止、学校教育人種隔離など、多方面にわたる人種差別的制限が、農業に従事する日本人移民と家族をいかに縛り不幸を招いたかが、克明に描かれている。 多くの一世たちは、そんな過酷な環境にあっても、将来に希望を託し障害を乗り越え、アメリカ永住を決意して行く。 そして1940年代初頭に勃発した真珠湾攻撃と太平洋戦争。 アメリカ在住の移民とは無関係であるにもかかわらず、西海岸沿いの日系人12万人が強制収容所に送られた。 4年後収容所から戻った彼らはどうなったか。 その経歴を垣間みる試みが、10月ひまわり会の勉強会で行われた。 主題は、荒廃したグリーン・ハウスをゼロから建て直し、家業の花栽培を復興させたエル・セリートの日系人家族たちである。 一時はベイ・エリアの市場を圧倒した産業も、グローバル化に押され都市計画の波に追われて衰退し、今は幾つかの記念物が往時の繁栄をしのばせるのみである。 それを学ぶ戦後移民の私たちにも、日系人の苦悩が埋もれた歴史と見過ごせない重みで伝わって来る。
移民の国アメリカが語るアメリカン・ドリームはひとつではない。 移民の出身、背景、時代により様相は異なる。 非ヨーロッパ系移民のアメリカン・ドリームが、アメリカの真実としてもっと語られ一般に知られる日が来ることを願う。