ひまわり会では、自分たちに深く関係する日系移民の歴史を学ぶセミナーを定期的に行なっています。

3月13日午後4時から、サンフランシスコ州立大学教授で、ご自身が「日系アメリカ人」である上運天(うえうんてん)ウェスリー氏をお招きして「日系アメリカ人の歴史とアイデンティティ」というテーマで講演いただきました。上運天氏は現在沖縄で民族音楽を研究されており、日本からの講義となりました。

今回のセミナーで特に強調された点はアイデンティティとメモリー(記憶、思い出など)の繋がりです。上運天氏の唄、三線演奏による「てぃんさぐぬ花」で始められたセミナーはそのテーマを象徴するものでした。「てぃんさぐぬ花」は古くから人々に愛されている沖縄県民愛唱歌で、多くのアーティストによっても歌われています。その歌詞は土地への感謝、その地に長く住んでいる人々、親の教え(メモリー)を守り、耳を傾けることの大切さを歌ったものです。「人は記憶を失うとどうなるのか?」、アイデンティティとはメモリーに支えられた自分の存在を認識することです。そして「“記号としての言語”によるコミュニケーションには限界があるが、共有されたメモリーを通じてのコミュニケーションはより深いレベルで行われる」という点が指摘されました。

アメリカでは西部開拓史においてマニフェスト・デスティニーをイデオロギーとし、植民地化と土地の収奪が正当化mされてきました。その思想は「神に選ばれたすぐれた人種(白人)が他の劣った人種(先住民や奴隷)を導くことが神の意志にかなう」、というものでした。

南北戦争以降、奴隷制度が廃止されたことにより、アメリカで低賃金労働力の需要が高まりました。その供給先をアジアに求めたことで日本人が主に農業労働者として渡米したところから日系アメリカ人の歴史が始まります。彼らは白人に所有されてはいないものの、厳しい人種差別がありました。さらに日系人は、日本が日露戦争で白人国家に勝利した唯一の有色人種国家であったこと、西海岸における日系農家の成功やコミュニティが興隆したことにより、白人社会にとって脅威と感じられる存在になっていきました。

日米開戦後、米国では16分の1、日本人の血が入っていると日本人(敵性国民)とみなされ、強制収容の対象となりました。また南米に移住していた日系人も強制収容の対象となっていたことも知っておかなければなりません。

また第二次世界大戦後、アメリカの軍事的植民地にされていた沖縄で人々は人種差別、暴行被害を経験しましたが、それを一般人が語ったとしてもその話は歴史上の事実として認められていません。体験者のオーラルヒストリーが歴史の中で正当に評価されていない、というのが現状です。

終わりに参加者からの質問に答える形で上運天氏が提示されたのが「メモリーの民主主義 (Democracy of Memories)」という考えでした。「“白人至上主義”からの解放を目指し、ひとつの価値観を他の人種に押し付けないこと。異なる人種間で音楽、料理、物語などにおいて経験を共有し、互いに語ることで相互の理解を深めることができるのではないか。この問題(人種差別)については世代を超えて意識を変えていく必要があるが、次世代は自分たちよりも人種的偏見に縛られていないように見受けられ、私自身はそこに希望があると思う」と述べられました。

ご参加いただいた方々から、「“肝・心”を差し所に教えていただき感謝」、「日系アメリカ人の歴史と戦後の沖縄を結び付けて語ってくれたのは重要な視点だと思う」、「多角的な視点に立ったお話でとても良かった」、「個々の自己肯定と他社への寛容を今一度確認できた」、「講師の”心で話す“という姿勢に感銘を受けた」、等など多くのご意見をいただきました。

参考ウェブサイト
http://www.discovernikkei.org/en/

(レポート・大下啓二)