私は昨年8月に84歳の誕生日を迎えたが、これから後何年元気で生きていられるか、人生の最後にどう対応できるか等よく考えるようになってきた。その時医者の息子に薦められた本を読んで、更に死について考えさせられている。その本は”Being Mortal” というタイトルで、著者はハーバード大学教授で外科医のアツールガワンデである。アメリカで2014年に出版され、ベストセラーになったが、日本でも 『死すべきさだめ、死にゆく人に何が出来るか』というタイトルで翻訳されている。

ガワンデ教授は米国の医療技術、ケアシステムは 目覚ましい発達を遂げているが、 問題点は病気の治療、延命に重点をおきすぎて、末期患者や、高齢者の避けられない死、エンドオブライフの問題に対応する援助がおろそかになっていると指摘している。  彼は自身の父や、家族、又関係した患者の末期の苦しい経験を通して、如何に 医療専門家は死を免れない患者のニーズをもっと理解し、支えて行く責任があると説いている. 私自身の経験でも、尊敬する恩師が現在100歳でアルツハイマー施設でケアーされるが、お見舞いに行くたびに、このような状態で生き続けなければならない事を悲しく思わずにはいられない。 それに刺激されて、私はこの国のエンドオブライフ問題について、検索してみたが、自分自身が判断力がある時に、医療ケアに関する選択、意思表示をしっかりとしておく事が如何に大切かを痛感させられた。 ここに私が学んだ情報を一部紹介させて頂く事にした。

1.リビングウイル(死亡選択遺言):

米国では、1970年代頃から、患者人権擁護団体が、患者の希望を無視して延命措置治療を行う病院や医師たちを相手に訴訟するケースがいくつか起こったが、メディアに最も注目されたのは、21歳の若さで昏睡状態に陥った女性カレン・クインランのケースだった。彼女の両親は、彼女が人工呼吸で延命させられることに反対し、1975年にニュージャージー州で訴訟を起こしたが、第一審では許可が得られず、上訴し、ようやく人工呼吸措置停止の許可が下りた。しかし、彼女は人工呼吸が止められた後も、経管栄養を受け、31歳までの10年間、植物人間状態で生き延びたのである。このケースで世論が急速に患者の人権、自身の医療ケア、延命措置に関する決定権を尊重する動きが強くなった。 各州で、患者や家族がこのような苦しいジレンマに直面せず、延命措置を行なわず、死を迎えることを許す、法が立法されるようになった。州法としては、1976年のカリフォルニアにおける“Natural Death Act”(自然死法)を初めとして、現在までにほとんどの州で立法されている。 現在では リビングウイルは改名され、“Advance Health Care Directive”(事前医療指示書)と呼ばれるようになったが、改訂された理由は患者の延命措置拒否に加えて、患者自身が判断能力を失った時、近親者、弁護士、友人等が医療代行者として、患者の意志を実行することを指示出来る事である。

2.ナーシングホーム、アシステッドリビング: 最近私の友人や、恩師が年を取り、パートナーを無くしたり、重い病いを患ったりして、アシステッドリビング施設や、ナーシングホームに入らなければならないケースが増えてきている.皆さん何とか自分の家で生活していきたいと思っているにも関わらず、それが出来ない場合は、嫌々ながら入居しなければならないのが現実である。 施設によっては、スタッフも、サービスも充実していて、入居者も満足している所もあるが、多くの施設では患者の安全に重きを置きすぎて、患者の自由が制限されている所が多く、お見舞いに行くたびに、悲しくなって帰ってくる.私も家族はシアトルにいるので、いつかその必要が出てくるかもしれないと思って、あちこち調べてみたが、コストが高いのに驚かされている。でも将来に備えて、今から自分のファイナンス状態をしっかりと確保しておかなければならないと、自覚している。

3.ホスピスケアー: ガワンデ教授の父親は 癌で死期を迎えた時、 家で最後を迎えたいと強く希望していたので、周囲の反対を押し切って、 自宅ホスピスを実行したそうである。私の友人も二人、自宅ホスピスを選んで亡くなっていったが、とても穏やかな最後だった。米国のホスピスケアは自宅ばかりでなく、非営利団体や、病院でも設置されているが、最近目覚ましく広がってきている。高齢者や障害者の為の医療保険、Medicare, が利用できる様になったのも、大きな契機であるが、ナースやボランテイアー、家族がケアを担うので、コストも入院コストのように高くないので、家族や、患者の経済的負担が軽いのも利点である。多くの患者自身も病院で複雑な機器に繋げられて、苦しみ続けるより、自宅やホスピスで緩和ケアを受ける事を望んでいる。 私も出来たらホスピスケアで最後を迎えたいと考えている。(了)

*心理学博士、元サンフランシスコ精神衛生局局長