11月の末に二週間程、私用で日本に帰国した。2年ぶりであるが、サービス過剰がますますエスカレートしている日本社会を目のあたりに見て、アメリカとのあまりの違いに、ただただ驚きの連続であった。

しかしその「超」丁寧な対応の裏側に、彼等一人一人が心に抱える不安をいやがおうにも感じさせられたのは私だけであろうか。

たまたま古い週刊朝日のコラムが目に留まった。

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ニッポンスッポン「日本の女性を覆う重たい空気」
北原みのり 〔週刊朝日より転載〕

海外に住んでいる友人が、久しぶりに帰国して驚いたことがあるという。「日本の女って、こんなにもつらそうだっけ?」と街を歩く女達が怯えているように見えるのだと言う。「まるでDV(家庭内暴力)を受け続けた女性みたいにみえるの。」殴られるだけが暴力ではない。無視され、馬鹿にされるという暴力が日常になったDV被害者は、日々自尊心をそこねていく。他人の顔色を窺い、諦めを深める。そんな絶望を街歩く女達に感じたという彼女の話に思い出したことがある。

よく行くコンビニに、サービスが凄い女性店員がいる。「いらっしゃいませ!」の声が誰よりも大きく、何も買わない客にも「又お待ちしています!」と声をかける。お釣りを渡す時は、たとえ10円玉1枚でも、手を添えてくる。又近所のファミレスの女性店員も凄い。深夜に行くと、スーツ姿の男性に「お仕事帰りですか、お疲れ様です。」と声をかけ、食後には、「お口に合いましたでしょうか?」と微笑むのだ。

過剰なサービスを振りまき、極度な緊張状態で働いているように見える女性達が最近よく目に入る。どういう訳か、私は彼女達のことが気になって仕方がなかったのだけれど、「日本の女がつらそう」と言う友人の言葉と彼女達の顔が結びついた。コンビニやファミレスでそこまで頑張る必要はないと言いたいのではない。彼女達の異常とも言える緊張状態からは、高いプロ意識で仕事をしているというより、「絶対に落ち度を見せない」という強迫観念や、リラックスする方法をとっくの昔に忘れてしまったような肩の力が見え隠れする。そのつらさは彼女達独特のものというより、社会全体を覆う重たい空気そのものなんじゃないか、と思えてならないのだ。一体何故生きること、仕事することに、こんなにも緊張と用心深さが求められるのだろう。友は、日本の女が怯えているように“見える”と言ったが、多分本当に私達は怯えているのだと思う。失敗することに、怒られる事に、これ以上、自尊心が傷つくことに・・。