夕飯の支度をしながら、キッチンの窓から茜色に染まった空に目をやる時、よく思い出すのは子供の頃、特に昭和19年から27年にかけて疎開していた福井県は若狭の片田舎で過ごした8年間の遊びの数々である。昭和15年生まれの私は、5歳から13歳までそこにいたことになる。子供時代で最も毎日が楽しくてしかたがない年齢だった。

四季のはっきりした日本で、文字通り自然が相手で、お腹の空いたのも忘れるくらいだった。春は足元の蛇を気にしながら、山へ、芝刈りならぬ、わらび、ぜんまい、野葺採りと、自家の野菜に加え、山菜がお膳に興を添え、母の作るそれは美味だったこと。又田植え前の田圃には蓮華の花が咲き乱れ、蜜蜂と一緒にそこをごろごろ転んだり、でんぐり返しをしたことも。田植え前の水田にはタニシも多く、ザルを片手によく採りに出掛け、木の芽を使った品を食した。猫の手も借りたい農繁期には、田植えを手伝い喜ばれた。苦痛だったのは学校迄がかなり遠く、歩いて小一時間要し、帰途はよく道草もした。ある日よそ様のサヤエンドウを数人で捥ぎ取り、空腹を満たしたのはいいものの、翌日学校に知れ、しばらく立たされた経験もある。夏は川で泳ぎ、秋は風の強く吹いた翌日は栗拾いに。冬は雪が深く、父の作ってくれたソリで遊んだ。大人たちは農作業で忙しいから、お寺の鐘が鳴り、土手の月見草が花開くころ家路につくのである。夏の夜は漆黒の闇を縫って蛍狩り。成育を増した緑の田にはボーッと誘蛾燈が灯り、妙にしんみり子供心を刺激された夜もあった。

今思うと、なんて恵まれた少女時代だったかと、しみじみ当時を回想するのである。 (了)

春夏秋冬