お盆と言えば思い出すのは、中学校まで過ごした静岡県の浜松市で、伝統行事として行われていた遠州大念仏である。土地の若衆がお盆の夜に初盆の家を回り、「とったか」と呼ばれる踊りを、ばちで太鼓を叩きながら軽やかに舞った。高校時代から移り住んだ静岡市では、お盆の夕方に母が玄関の前で、茄子に割り箸で四つ足を立てて馬とし、香木を組んで燃やして、仏様を迎えた。どちらも土地の慣習に基づくもので、50年後の今振り返れば、懐かしい。
お盆自体の記憶は薄いけれども、私の心の中では、お盆といえば夏休みと結びつく。それも子供時代の夏休みを思い出す。7月中旬にお盆があって、それが過ぎると、20日頃から夏休みに入った。夏休みといえば思い出すのは、母の生家である山あいの古い農家で過ごした5日くらいの休暇である。毎年その頃に、弟と一緒に浜松駅からバスに乗り込み、街道沿いの風景が変わって行くのを一心に眺めた。やがてバスが緑に埋もれた渓谷沿いの狭い道に入り、川のせせらぎが見え始めると、とても興奮したのを覚えている。
母が育った農家は小高い丘の上にあって、家の前には、野菜や花を植えた畑とバス街道に連なる茶畑があった。家の後ろは低い岸壁で、片側にうっそうとした竹林があって、春には筍が芽を出した。岸壁の上の裏山には、古い柿の木が連なる段々畑が、小高い丘の頂きまで続いた。明治か大正に建てられた農家は、燻されて茶色に光る大黒柱と大きな仏壇を中心に、広い日本間が木の引き戸で仕切られていた。家の中は真昼でも暗く、幽霊が出そうで、子供心にどこか怖かった。
でも、あの古い農家と里山の自然環境が、いろんなロマンを感じさせて、文学少女の私には、まるで夢の国だった。昼過ぎにはいとこ達と一緒に坂下の川に繰り出し、大きな岩が作った自然のプールで泳いだ。夕方近くになると、アブラ蝉とミンミン蝉の大合唱に混じって、ヒグラシが甲高い声で鳴いた。その竹林のふもとでは、白い山百合の群生が芳醇な香りを放った。どれもあの頃にあそこでしか味わえない夏休みの体験だった。
半世紀以上経った今、多くが変わって、あの農家と山河の風情は、私の心の中にしかない。でも、多感な子供時代に、豊かな里山で味わった興奮と気儘な想像力は、今でも私の記憶に残り、夏休みの思い出と一緒に、一昔前の日本の風景への詩情を掻き立てる。 (花かごより転載)