わたしは、静岡県沼津市で生まれて育ちました。祖母と母は雑貨屋を営み、社交家の祖父は市議会議員をして、真面目な父は、電電公社(今はNTTと言いいますが)に務めていました。父は8人兄弟の長男でしたので、暮れには叔父叔母が家族を連れてくるのでとても賑やかでした。私は子供が好きだったので、小さいいとこたちが来るのをいつも楽しみにしていました。

雑貨屋はクリスマスから年末にかけて、クリスマスケーキの注文販売、年末年始の贈答品の販売で忙しいので、家中バタバタしていました。クリスマスには、うちの店で売っている沼津ベーカリー製のケーキを食べるということが特別なことでした。何でも売っている店でした。 お客さんが一升瓶を持ってきて、それに油やソースを量り売りをしていました。「サラサラソース2合にボトボトソース3合ね。」と言われて、升で量り売りをする手伝いをしたのを覚えています。

 

祖母と母は季節の行事は欠かすことなく、師走の忙しい時でも家族で杵と臼でお餅を沢山作りました。私は祖母に教えられて正月料理を作りました。鯖を使った昆布巻や大根と人参のなますを一緒に作ったことを覚えています。お正月三日間は、雑煮を食べました。実際二日目くらいには、雑煮もおせちにも飽きていましたが、古い習慣はなかなか変えられないうちでした。実家のお雑煮は、里芋と大根だけが入ったシンプルなもので、上に鰹節をふりかけて食べます。「ほら、カツオが踊っているよ。見てごらん」とよく言われたものです。

そして、年が明けるとお年玉をもらいます。大家族でしたので、結構なお小遣いが子供の手に入りました。高校生くらいになると、これを使って遠出をするようになるのです。沼津の田舎から箱根や東京に繰り出すようになったのは、お年玉があってできたことでした。正月の醍醐味は、お年玉というようになってきたのは、この頃でした。