2020年4月〜6月

俳句

春の風 親子で揚げる 凧ひとつ

桑港も 両手の橋も 春がすみ ( なおみ)

捨てた木瓜 はなびら二、三 カンのそこ

パンダミック 遊歩道に 人の波 ( きみえ)

人類の 奢り諫めか コロナバイラス

散歩道 越すに越されぬ 6フィート ( 土屋和子)

エッセイ

「ズーム」 春海真理子

コロナ危機で自宅待機になるまでは全く無縁だったコンピ ューターのアプリ, Zoomが今や自分の生活になくてはな らない存在になっている。 Zoom は、パソコンやスマートフォンやアイパッドなどを使っ て行うビデオ電話だ。もう数年も前から、ビジネス界では使 われていたそうだが、ステイホーム・オーダーの後、自宅勤務 やオンライン学習を余儀なくされた人たちの間で、コミュニ ケーションの手段として急速に使われ始めた。教会の集ま りなどでもよく使われるそうだ。スカイプという、これまで普 及していたビデオ電話よりも使いやすく、グループでの会議 も可能で、音質も画像もいい。さらに費用も無料(内容によ っては有料のもある)とあって、圧倒的な人気を博している。 カリフォルニアでステイホームのオーダーが出たのは3月1 5日だが、この日から、突然、人々の生活パターンが変わっ た。生活必需品以外を扱う商店は全て閉まり、レストランも コーヒーショップもテイクアウトだけになった。文化施設や スポーツ施設やシニアセンターも閉まった。人と人の間は6 フィート開けなければいけなくなり、集会や催しも全てキャ ンセルされた。幸い、食料品や日常の生活用品は手に入る し、電気もガスも水も普通に使える。私のようにリタイアした 身には、一見、何の不自由もないのだが、同居人以外の人に 会えなくなったのにはこたえた。なんとも寂しく、急にできた 大量な暇な時間をもて余して、心が折れそうになった。 そこに現れたのがZoomだ。ある日届いたYMCAからのメ ールで、いつもとっているエアロビクスのクラスがZoom と いうもので行われることを知った。恐る恐るダウンロードを し、送られてきたリンクをクリックしてみると、顔なじみのイン ストラクターが現れ、ほっとする。Gallery Viewで見てみる とクラスメートたちもたくさん参加しているのがわかる。よく 知らない人まで、何だか、なつかしい。ステイホームなので、 エアロビクスは、インストラクターの家のリビングルームで行 われ、参加する人たちも皆、自宅での参加だ。つくづくと不 思議な世の中になったものだと思ったが、耳慣れたいつも の音楽にのって身体を動かしているうちに、New Normal に次第に慣れて行った。 ステイホームの生活に入って一か月もした頃には、Zoomが あちらこちらで利用されていることがわかってきた。私も、今 では、Zoomでひまわり会のワークショップや気功のクラス をとったり、書き物の集まりに参加したりしている。週に一 度、友人たちとの日本語のお喋り会も楽しみだ。気が付くと、 初めの頃に感じた閉塞感が随分と楽になっている。先日は 70歳になった夫の誕生日を祝って、ハワイ、西海岸、東海岸 に住む親類や友達がZoom上で誕生会をした。小さいなが ら、心のこもった、とてもいい集まりになった。新型コロナが 訪れることがなかったら、多分、Zoomとも縁がなく、こうや って、遠くの地に住む人たちと皆で集まることもなかっただ ろう。 Zoomは人と人とが実際に出会うことに取って代わるもの ではないかもしれないが、その果たす役割はとても大きいも ののように思う。特にシニアにとっては、便利この上ないもの かもしれない。身体が不自由になったり、車を運転しなくな ったりしても、Zoomを使えば、自分の家にいたままで、いろ んな活動に参加できる。新しい人にも会えるし、話せる。他 にどんなことに役に立つかなあと、今、想いをめぐらしてい る。