俳句 • 川柳

老夫婦 横断歩道で 手をつなぐ
散歩道 七面鳥が とうせんぼ  (神村純子)

アップ髪 紅きコートを ひるがえし
うららかや ラテン男の 深き声
桜吹雪(はなふぶき)飼われる犬も ホームレス
(星きみえ)

年明けに 戦の足音 忍び寄る
バレンタイン 亡き人忍ぶ 赤いバラ (土屋和子)

間違えど 平気で踊る シニアたち (エミ―・ベアード )

満月や あおいで願う 世の平和
雛の日や 祖母の甘酒 思いはせ (ツルー・玲子)
春の陽を あびて友らと 海の道 (なおみ)

エッセイ

「アメリカ人が来た! 」  武井よしこ

私は敗戦間もない、基地の町横須賀で生まれ、10代の終わりまでそこで過ごした。

昭和30年代半ば、当時7、8歳くらいであったと思う。いつものように路地裏で、近所の子供達と遊んでいると、誰かが表通りで「アメリカ人が来た!」と叫んでいる。私たちはあわてて、表通りに出て見ると、自転車に乗った二人の若い外国人が(当時アメリカ人と外国人は同意語であった。少なくとも私には)目の前を通ってゆく。私たちはあわてて、後を追った。彼らは、海岸通りを少し走り、見晴らしの良さそうな場所で自転車を止めて、双眼鏡やカメラを出した。私はカメラはともかく、双眼鏡というものをその時初めて見た。その時、一人のアメリカ人が相手に話しかけたようだが、相手の人は聞こえなかったと見えて、「エッー」と聞いた。少なくとも私にはそう聞こえた。その時、私は幼いなりにお悟りしたのだ。<あっ、アメリカ人でも相手の話が聞こえなかった時には、エッーと聞き返すのだ。>この事が、その後の私の海外旅行の発端になったような気がする。

その後、私は女だてらに(私が言ったのでない。某友人が言った)70年代の後半にインド一人旅をする。インド、スリランカ、ネパール、タイ。多くの人に会い、多くのものを見た。多分あのまま日本にいても何も進行しなかったであろう、自分の生活、考え方が一歩前進ではなく、一歩別の道を探せたような気がする。日本へ帰った私は、すぐまたインドへ戻った。とにかくインドに<ハマった>のである。何より、当時のイケイケムードの日本に息ができなかった。怖くなかったかとよく聞かれる。この質問をする人はそれでも当時のインドを少しは知っている人なのだ。怖かったことは確かだ。東洋人の女性の一人旅に一年間のインド旅行の間に2人くらい会っただけだ。それでも私には、幼児時に聞いたあのアメリカ人の<エッー>のおまじないがあった。

言葉が通じなくても、分かり合えると言うことではない。それほど世界は単純ではない。でも鍵を持つことは大切なのだ。その鍵は人によって違う。あの時のあの若いアメリカ人は、どうしているだろう。まさか存命とは思わないが、当時自分たちを追っかけてきた敗戦国の子供の一人が、自分の言った英語ですらない単語をいつまでも覚えていて、それを武器のように一人で海外旅行し続けた人生を送り、最終的にその人の国に住むことになっているなんて。この<エッー>が私の人生にとって、吉だったのか凶だったのか。しかし、別の人生を思うことは、全くない。

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花かごは”日本語で遊ぼう”の会です。

子供の頃の想い出や日頃考えている事を文章にするのは頭の体操になります。 ひまわり会の会員でない方でも、どなたでも自由に参加できます。 当日集まりに来られない方でも作品を郵送かe-mailでお送りください。

日時 毎月第2水曜日 午後1時から3時
(4/8*, 5/13, 6/10)
場所: Richmond Annex Senior Center
5801 Huntington Ave., Richmond

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