今年のバス旅行は若松コロニーとおけさんの墓を訪れました。

昨年放映された大河ドラマ『八重のさくら』で明治維新や戊辰戦争に関心が深まったせいか、一般の参加希望者も多くバスの定員23席はあっという間に売り切れてしまい、5人ものキャンセル待ちがでました。ひまわり会が此処を訪れるのは2回目でしたが以前とははいろいろ変っていました。

若松コロニーはカリフォルニア州の歴史公園に指定され、自然保護団体American River Conservancy の管理下になり、公園の維持と支援の為に一人10ドルの入場料を払いました。公園の入り口辺には当時の住宅や納屋があり、おけいさん達が植えたと伝えられるケヤキの大木や、おけいさんが住んだかと思われる古い家の中を見学し当時の生活を偲びました。丘の上には徳川家の葵の紋が附いた門が有り、戊辰戦争に破れた会津藩の無念さが思いやられました。ARCの3人のガイドがコロニーの歴史を説明してくれました。

若松コロニーは北米ににおける最初の日本人入植地と説明されましたが、私達にとって一番心を引かれるのはおけいさんのお墓です。おけいさんはアメリカ移民女性第1号と云われ私達の大先輩です。

17才の若さで親元を離れ、たった一人で言葉も違う遠い異国に渡り、丘の上から毎日の様に沈む夕日を眺めて故郷を想い、2度と日本へ帰る事も出来ずに19才で病死した伊藤けいさんの事を思うと胸が痛くなります。今もその丘の上に眠るおけいさんのお墓にお花とお線香を備え祈りを捧げました。

「八重のさくら」の飯島八重さんと同じ変動の時代を生きた会津の女性のお墓に参るのは感慨無量でした。

今回もサクラメントの日本人会、さくら会の方が大勢参加して下さり手作りの美味しい日本料理のお弁当をご馳走して下さいました。有り難うございました。

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若松コロニーについて

1868年、戊辰戦争に敗れた会津藩藩士の何人かは新天地として会津藩と交流していた商人ジョン・ヘンリー・スネルと言う人物に導かれ、戦争で負けた会津藩の藩士とその家族、そしてスネルの妻、子守りのおけいを始めとする日本人をゴールドラッシュに沸くアメリカはカリフォルニア州へ連れて行き、日本の茶と絹の栽培をしながら日本人のコロニー『若松コロニー』と名付けた入植地を築こうとしていた。1869年5月20日移民船でサンフランシスコに到着した一行は金の鉱山で栄えるゴールド・ヒルへ向かった。そしてスネルはゴールド・ヒルの農地を買い取り、日本人を住まわせた。最初はこのコロニーでの茶などの栽培は順調だったが、後に天候による茶の栽培が出来にくくなった事や資金不足、あるいは病気の流行などが原因でこのコロニーは崩壊してしまった。1871年4月若松コロニーが行き詰まったスネルはコロニーの資金調達の為と言い残し、日本人入植者達を残し1人で日本へ行くが二度と戻って来る事はなかった。

(ウキペディア より)