ここ4年間一人暮らしをしている。孤独で退屈だけれど、これは簡単に解決できない。したがって、寂しさと単調さを防ぐ、あるいは減らすことを考える。忙しくすると言ってもいいかも知れない。最近は、仕事で忙しくするのは適度にして、個人生活を豊かにすることを優先している。4年の間に努めたことは、人との繋がりを増やすことであった。お陰で、最近はいろんな人たちとあちこちで出会う。予定していなくても、友人・知人にばったり出会ったりする。地域の絆が増えたと思う。幸せなことである。
でも、思う。なぜ一人暮らしという選択しかないのだろうかと。周りを見ると、一人住まいの人が多い。例えば、ケンジングトンの我が家の向こう両隣六軒の内、四軒が一人世帯である。世帯主は、皆んな50才代以上の男女である。成長した子供やパートナーが近くにいる人も一人で住んでいる。それぞれ理由は違っても、結構なサイズの持ち家で一人暮らしを好んでいる、または選んでいるようにも見える。日本でも同じような現象があることは、以前文章に書いたことがある。空き家や一人住まいの世帯が、我が静岡市の住宅地でも増えている。
これは文化というよりは経済のあり方によるものだろうか。東西を問わず、高度な資本主義社会では、住宅の所有は個
個人の絶対的な権利であって、所有者の神聖な領域であるから、他人が踏み込む余地はない。従って同居者がいようがいまいが、所有者の勝手である。誰も問わない。でも、上記の例のように、ひとりひとりがポツンポツンと箱に入るように住んでいて、互いに繋がらない、そして支え合わない、生活のあり方に疑問を持たないのは、おかしいと思う。
勿論、一人住まいに代わる住み方はいろいろある。アメリカでは、ル−ムメートやハウスメートと一緒に住むのは普通だし、日本でもシェアハウスという住み方が増えていると聞く。この他に、以前、私が興味を持ったのは、co-housingである。つまり、ひとつの土地に何軒かの単独住居が、キッチンやリビングルームのような共同のスペースを中心に、集まって建てられた複合住宅である。理想的に言えば、住人はそれぞれの独立した住居を持ちつつ、互いに交流し支援し合う、一種の大きな疑似家族を構成する。現実的にこのやり方がどう機能するのかは、私はよく知らない。インターネットで簡単に多くの情報が入手できるから、少し調べてみようかと思っている。
人がどう住むかは、その人の基本的なあり方を決める。「居場所」とか「第三の場所」とかいう言葉や概念の追求は、今始まったものではない。衣食住が足りても、社会的な疎外感に悩まされるのは、現代人の宿命のように語られる。住み方や人との繋がりは、最も根本的なところで、人の幸福感と関連している。これをどう改善するかを、私も60代の後半に入って一人暮らしをするところから考え始めた。
皆さん、一緒に考えませんか。