今年は第二次世界大戦の終戦75年の区切りとして、日本でもアメリカでもこの戦争について多く報道されました。この戦争の体験者は年々高齢化し、直接話を聴く機会も減っていることを踏まえて、東京、沖縄、長崎、広島に住んでいた方々からの話を聞く会をオンラインにて開催しました。
最初に、第2次世界大戦開始前から太平洋戦争終結までの主な出来事を、年表に沿って大まかに振り返りました。
1.沖縄戦の話:翁長なおみさん
1945年の3月末から6月にかけて英米の連合軍の激しい攻撃を受けた沖縄では、学徒隊など多くの一般市民が犠牲となりました。戦後、占領下にあった日本がサンフランシスコ条約により1952年4月に独立回復後も、沖縄は1972年5月までアメリカの統治下にありました。翁長なおみさんは、戦前福岡に生まれ戦後沖縄で育ち、沖縄の日本復帰を記念して1975年に開催された国際海洋博覧会の準備とその後沖縄戦資料館の展示改定に携わりました。その経験を7月と8月のひまわり会の花かごで書かれ、今回1つにまとめて発表してくださいました。
2.東京大空襲の経験談:瀬川澄子さん
東京は100回以上空襲を受けましたが、特に1945年3-5月には大規模な爆撃が続きました。当時中学1年(13歳)だった瀬川澄子さんが、4月に文京区小石川の家と防空壕が焼夷弾の被害を受けて逃げた時の体験を語ってくださったビデオと戦前から戦後の生活について語った瀬川さんのインタビュー要旨を発表してくださいました。
3.長崎の原爆と生き残った被爆者の苦悩:花岡伸明信昭さん
長崎市郊外で生まれた花岡伸明信昭さんは、幼かったために原爆投下時の記憶はありませんが、6歳の時にお母さんとお姉さんを放射線によるがんで亡くされました。横浜の神学校を卒業後、アメリカに留学し、その後ベイエリアで牧師の仕事をしながら、近郊に住む多くの被爆者との出会いをきっかけに、被害者サポートの友の会を創立し、被爆者のオーラルヒストリーをテープに録って書き起こしました。花岡さん自身の経験を通して生き残った被爆者の方々の苦悩について、また長く残る戦争の深い傷跡などについて語ってくださいました。
4.広島の兵学校で被爆した帰米二世の経験談:山本タックさん
日本人のご両親が戦前にシアトル在住中に生まれた山本タックさんは、小学校1年の時に帰国され、原爆投下時は広島江田島の海軍兵学校の教室で自習の最中でした。突然の閃光や地震のような揺れ、何が起こったかわからない中、大きなきのこ雲を目撃したことなど、経験を語ってくださいました。
貴重な経験談に、幅広い年代の多くの参加者が熱心に耳を傾け、その後質問、経験談、親御さんから聞いた話など、活発な意見交換がありました。
戦争は戦時下だけでなく、戦後も人々の生活に深く長く傷を残します。今でも世界中で戦争は絶えず、いたるところで緊張が高まっていますが、戦争を避けるために私たち個人個人が何をできるか、深く考えさせられた時間でした。
ご協力いただいた方、参加くださった方、皆様に心から感謝いたします。
レポート・ウイリアムズまり