2020年3月15日

ケンジントンの我が家から、オ―クランド港に停泊するグランド・プリンセス号の白い姿が、小さくもはっきりと見える。横浜港に停泊しているダイアモンド・プリンセス号の亡霊がここまで追ってきたようで、苦笑してしまう。全くよく似たケースであるけれども、グランド・プリンセス号が後者の失敗を繰り返さないようにと祈る。アメリカのCDC が、どのような手腕を発揮して疫病禍を収束させるのか見守りたい。

私は、昨年末から3月初めまで日本に滞在し、新型コロナウイルスのニュースが日増しに重大性を増すのを見てきた。最初はダイアモンド・プリンセス号の乗客と乗務員の隔離に関する報道が全てであった。やがて、日本国内で感染者がひとりふたりと各地で確認されるにつれ、焦点はそちらに移っていった。NHKも民放もコロナのニュースで持ちきり。感染者が初めて確認された県では、県知事がニュースを自ら伝えた。厚生労働大臣や疫学専門学者が説明と解説を繰り返すものの、感染者数は日毎増えていき、人々の不安はいやがおうでも増した。そしてついに総理大臣が記者会見で総合政策を述べ、その後すぐに全国の小中高等学校に春休みまでの休校を「要請」した。

私個人の経験では、3月の第1週が転換期であった。在住する静岡市では、クルーズ船を下船した乗客が帰宅後ウイルスに陽性反応した例が一件あったのみで、私の日常生活に変化は無かった。心を奪っていたのは、3月6日に大韓航空のソウル経由便でネパールのカトマンズーに出発する準備で、それもほぼ万端、あとは出発のみという状態にあった。それが狂い始めたのが、大韓航空がメールで予定変更を伝えてきた時からである。そこで初めてネットで調べたところ、大韓航空が世界中の路線を大幅に停止・変更をしている事実を知った。そしてネパール政府が空港で日本人に観光ビザを発行しない方針を発表したことも判明した。ここで遅まきながら、「事」の重大さを「外」から知らされたことになった。即座に旅行はキャンセル、とても悲しかった。

そして金曜日の朝に電話が鳴った。浜松の従兄弟が聞く、「いつアメリカに帰るの。日本人に入国制限や強制隔離がかかる前に帰った方がいいんじゃないの」。そうか、事態はここまで進んでいるのか。うん、アメリカに帰ろう。不思議なことに、そう決心するとフワーと元気が出てきて、全日空のSFO行きの出発を8日の日曜日に変更し、スーツケースを入れ替え、あちこちに電話し用事を済ませ、夕方までには準備を完了した。土曜日は家の整理や庭の掃除をして、日曜日の朝にどしゃぶりの雨の中を出発した。成田空港に着くと、全く人気無し。飛行機の中もガラガラ。とても異常だった。

そして到着したSFO空港では、入国係官は私が日本から来たことを知っていても、健康状態や旅行経歴については一切触れず、私の所持金が1万ドル以上でないかとしつこく聞いた。スーツケースを持って税関に向かった時も係官は全く無頓着。私はさっさとロビーに出ていつものようにBARTで家路に着いた。マスクをしている乗客はほとんどいなかった。
Welcome back to the US!