ビンセント ゴッホが画家として独り立ちできるようになりたいと決意したのは27歳。37歳でその命を絶つまでの10年間、ほぼ独学に近い形で学び続け、後期には日本画、特に浮世絵の影響を受け、日本に行きたいと夢見ます。
経済的に独立するには程遠く、画商の弟レオから経済的援助を受けて、膨大な量の絵、そして、スポンサーへの報告書とも言えるような細かい製作の過程を手紙にしてレオに書き残しますが、その唯一ともいえる理解者レオは、ビンセントの後を追うように6ヶ月後に病没します。
けれども、義妹と甥ビンセント ジュニアによって、絵と手紙の多くは霧散する事なく引き継がれ、アムステルダム市のゴッホ美術館 https://www.vangoghmuseum.nl/en となります。世界中から絵画愛好家だけでなく、いろいろな分野の研究者が訪れますので、ゆっくり静かに一つ一つ、行きつ戻りつ鑑賞するというわけにはまいりません。事前に個人ガイドをお願いしたのはそんな理由から。ゴッホへの日本の影響について案内してくださいと希望を入れておきましたので、1時間の短いツアーでしたが、贅沢な経験をさせていただきました。ひたすら歩いて、素敵なレストランに行くでもないのでこのくらいの散財はいいでしょう。
私がこのゴッホにこだわるのは、保健師(public health nurse PHN)として関わる公衆衛生看護の視点によります。世界中から、いろいろな背景•価値観を持った人達がやってきて築かれたアメリカ合衆国。保健師は移民・難民、低所得者層の特に妊産婦・子供達の健康管理、又、結核等の伝染病予防 に関わってきた100余年の歴史があります。首に聴診器を下げて雑誌に載る看護師のイメージとは違いますので、どんな仕事なのか説明するのが難しい。そこで、個人”ツアーガイド”の様な仕事ですとお話ししたりします。あくまでも、妊産婦・親が主導権を持つ事が重要だからです。その人、その家族に合ったように対応する仕事は人の目に触れる事は殆どありませんし、成果が数字で出るような関わりでもありません。そんなわけで、残念ながら、その様な目立たない地味な手仕事を看護師の免許に加えて公衆衛生の講義/臨床実習、そして、最低一年の臨床経験を求められる保健師という職種への必要性が軽んじられるようになっており、ここ何年もの間、予算が切られ続けています。それは、カリフォルニア州だけでなく国全体の傾向です。
あれこれ思うことがあって、ヨーロッパひとり旅を思いついた時から、もう一年が経ちました。今秋は、父の七回忌、長男が共に訪日して、長崎に足を伸ばしました。出島の橋が来年には出来るようです。その工事現場にあったポスターの言葉をお知らせして、この旅日記を終わりましょうね。
伝えよう、あなたへ、私へ、子供たちへ
長崎の輝かしい歴史と和・華・蘭文化
未来へと繋ぐ、架け橋のために
松田勝三 じげもん
( 了 )