最近日本にいるネパール人の研究を再開した。もう既に20年前になるが、東海地方で働いているネパール人の研究をしたことがある。本国に家族をおいて海外で稼ぐ働きざかりの男たちで、日本へは観光ビザで入国しそれを超過滞在し、労働者不足に悩む製造業の零細企業で働いていた。雇用者から見れば、彼らは安価で上質の労働を提供する貴重な働き手であった。そのコミュニティは、2008年突如襲った世界的な経済危機によって解雇者が続出し崩壊した。

それ以後私も家族の健康問題にとらわれて研究を中断せざるを得なかった。

それから10年が経ち、日本におけるネパール人の労働移住は大きく変わった。 昨年の2018年6月現在、在留登録者は8万5千人を超える。 その大多数が、日本語・専門学校に通う留学生、インド・ネパール料理レストランで働くコックと、その妻と子供達である。 この他に、日本人と結婚して家庭を築いた人たちや、日本の大学を卒業し企業で専門職として働く人たちもいる。 この急激な成長は研究者の注意を惹き、ネパール人の移住やコミュニティの研究も進んでいる。 そこで、私も今回の日本滞在中に、昔取った杵柄とばかりに、ネパール人の研究を再開することにした。まず東京や我が静岡県に滞在する何人かのネパール人に会いに行った。

中でも一番興味深かったのが、藤枝市にあるカレー料理店でシェフとして働いているクリシュナさんである。 彼は、インド、サウジアラビア、マレーシアで働いた後に日本にやって来た。 今のカレー料理店は、海外の食文化を積極的に日本の食文化に取り入れようとする日本人ビジネスマンが経営していて、とても洗練されたレストランである。 カレー料理も日本人好みにできていてリッチでおいしい。 クリシュナさんは今の仕事に満足しているし、ネパールから呼び寄せた妻と娘二人も日本の生活に慣れた。
その彼がインタビューでネパール人コミュニティの問題として訴えたのは、家族滞在のビザを持つ妻が資格外活動として1日4時間しか働けないこと、そして日本で育つ子供がネパール語を話せなくなることであった。 妻がせめて6時間働けたら収入が増え家計が安定する。 子供は日本語をすぐ覚えるが、ネパール語を忘れてしまう。 そのどちらも家族にとっては重要であるが、解決は容易ではない。 配偶者の雇用については、入国管理法で定められている。 子供の母国語教育は、日本の教育制度では望めない。
そこで市民社会にできることは何かと考えた。 地域の公民館で「多文化キッズ広場」を作って母国語教室を提供したらどうか。 教師はコミュニティが雇えばいい。 日本人のボランティアが宿題をみてあげることもできる。 まずは、子供達とお母さん達が気楽に来られる場所の提供をめざす。 そのアイデアをクリシュナさんに話すと、他のネパール人家族と話し合ってみると言う。 しばらくして、「大丈夫」と快諾の返事が来た。 ここから移民と市民の協働計画がスタートした。 次回日本に戻った時にこれをフォローアップするつもりである。