アメリカの友人家族6人が、5月末から6月初めにかけて日本にやって来た。観光が目的であるが、宗教学者が指揮を取っているから、京都・鎌倉に並んで、伊勢神宮と高野山が行き先に入っている。私もこのふたつの目的地に同行した。

まず、伊勢神宮。下宮と内宮に分かれている。伊勢市駅からブラブラ歩いて5分、下宮に着いて、広いお宮内をゆっくり散策して、奥の神社をお詣り。その後バスで10分、内宮の入り口に着く。大鳥居をくぐり、有名な五十鈴川の上にかけられた宇治橋を渡る。清らかな川の流れとうっそうとした森を対岸に眺めると、神聖な領域に入る実感が湧いて来る。格式のあるお宮を幾つか過ぎて、正宮に続く階段を上ってまたお詣り。元の砂利道を歩いて、入り口に戻る。そこからは長い沿道に伊勢名物のお店が続く。観光客が笑いさざめいてお土産物を品定めしている。ここは宮詣での後に参詣人がくつろぐ俗世。私達も買い物の足をコーヒーとあんみつで休めてから、家路に着いた。

そして高野山。弘法大師が1200年前に築いた真言密教の聖地で、峻厳なお祈りの場所。大阪から南海電鉄に乗ること90分。極楽橋駅から険しい坂を一気に登るケーブルカーで、高野山駅に辿り着く。さらにバスで谷合いの町を通り抜けて、奥の院に近い宿坊に着く。ぎょろと目をむく赤塗りの仁王様が迎える山門をくぐると、そそり立つ木々を背景に、小さな石庭が玄関に続く。 その真ん中に弘法大師の旅姿が立つ。お寺の中はやや暗く、古い襖が仕切る畳の大広間を過ぎて、本堂の仏間に招待される。それだけで、無宗教な日常を生きる私達には、別世界へ来たような気がする。

翌日、主要な寺院を訪ねる。まず、高野山金剛峰寺の中心で、僧侶の修行場である壇上伽藍に行く。古い木造建造物が立ち並ぶ構内で、ひときわ目立つ鮮やかな朱色の根本大塔に入る。一歩足を入れた途端に、巨大なご本尊の大日如来像が、その脇で合掌する四体の仏像と共に、圧倒的な威容さで迫って来る。際立つのは、仏像の白塗りの顔とご身体、それを包む色彩豊かな衣装。優しく柔らかな顔立ちが慈愛深く、周りに描かれた曼荼羅と合わせて、全体が明るくて暖かい。 一瞬、これはネパールのタンカ(仏画)に描かれた仏像と同じだと思った。それもそのはず。真言密教はインドから中国に伝播され、空海こと弘法大師が9世紀に唐に渡り、その奥義秘伝を日本に持ち帰って来たのだから。 ヒマラヤの麓にあるカトマンズー盆地では、先住民ネワール族が何世紀にも渡って、独自のチベット密教の教義と儀式を守ってきた。今でも様々な仏像、仏画、曼荼羅があちこちで祀られ、人々の深い信仰を表している。高野山の聖地でネパールの仏像と思いがけず遭遇し、初めて仏教のつながりを見て、私は大きな感動を覚えた。

伊勢神宮と高野山。普段宗教と無縁な私が、アメリカの友人達と日本の代表的な聖地を訪ねて、その教えと祈りについて考え直す機会を持った。起源や歴史は異なっても、悠久の教えは、永遠の真実を求める人々を惹きつける。行ってよかったと思った。