「これは・・、いったい何だ・・・」 多分10秒くらい、その大鍋の中を見つめていたと思う。

1978年元日、当時18歳だった私は郷里の徳島を離れ、大阪で初めての正月を迎えていた。 高校時代、まじめに受験勉強をしなかったのがたたって受ける大学にはことごとく蹴散らされた。その頃、大手新聞社には「新聞奨学生」という制度があり、奨学生が新聞配達とその付随業務をやることを条件に、新聞社が大学、または予備校などの費用を負担する、というものだ。もちろん生活の保障もあり、少しばかりのお給料ももらえた。 両親から常々「(大学)浪人は許されない」と聞かされていた私は「経済的に自立していれば良かろう」と勝手に解釈し、自分でその仕事を見つけてきたのだ。

わたしが住んでいたのは大阪市東住吉区今川というところで、そこの配送所の主任さん一家は北海道の方だった。わたしと同い年の長男を筆頭に7人の子供たち、そして奨学生が5人という大所帯で、それはもうにぎやかな毎日だった。 元旦は朝刊を配り終えたら配送所の奥さんがみんなにお雑煮を振る舞うのがしきたりだった。

「大下君、お雑煮あるから食べなさい」と言われて奥の居間に行った。 そこには大きな鍋とお椀が用意されていたが、「これは・・、いったい何だ・・・」 。そこには私の慣れ親しんでいたみそ汁ではなく、すまし汁が入っていたのだ。 すまし汁のお雑煮があるとは・・それまで聞いたこともなければ想像したこともなかった。自分が経験した初めてのカルチャーショックだった。

それから十数年たったころ、あるテレビ番組でその話題が取り上げられていた。それによれば岐阜県あたりを境に「すまし汁」地域と「みそ汁」地域は概ね線引きできるのだそうだ。 テレビ番組でも取り上げられたくらいだから結構多くの人が私と同じ様な体験をしたものと想像できる。

今は何でもネットで検索ができて、簡単にさまざまな情報を得ることができる反面、地域の特徴や時節の移り変わりに対する驚きや感動が薄れているように思う。 自分の中でも、お正月の重さはあの頃に比べると随分と軽くなった。 それでも毎年、元旦にみそ汁のお雑煮をいただく度にあの頃を想い出す。